費隠和尚(1593年~1661年)は、常日頃から特別に何か凝ってものを蒐集するいわゆるいわゆる骨董趣味を避けておられた。浙江省嘉興県崇徳の福厳寺に住持されていた時、和尚の信者で呉郡の官吏をしていた蘇という人物が琥珀で造っ・・・
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勤力(かげひなたのない勤労は人間の資格である)
密雲和尚が天童山景徳寺の住持をされていた時次から次へと寺の建物が建立されていった。これは和尚が自ら率先していつも大衆(僧)の先頭に立って事に当たられたからである。ある時、大衆に言われるには 「私はお師匠さま(幻有伝禅師)・・・
警貪(むさぼりをいましめる)
隠元禅師が初めてシナの黄檗山で住持をされたころ(崇禎9年、1536年)禅師の師翁密雲和尚(1466年~1542年)は浙江省寧波府鄞県の天童山景徳寺で住持をしておられたがその頃庫司(倉庫の物品を司る役目)をしていた一人の僧・・・
師友(我を生む者は父母なり、我を成す者は師友なり)
密雲悟和尚はまだ元気盛んな壮年時代に幻有老人(密雲和尚の嗣法の師幻有伝禅師)を師匠として髪を剃って出家され、その後いろいろと寺の役職につかれ、また寺の仕事をされてきたが少しも嫌な顔をされたり、仕事に倦いた様子をみせられた・・・