隠元禅師が初めてシナの黄檗山で住持をされたころ(崇禎9年、1536年)禅師の師翁密雲和尚(1466年~1542年)は浙江省寧波府鄞県の天童山景徳寺で住持をしておられたがその頃庫司(倉庫の物品を司る役目)をしていた一人の僧が、倉から銀三百両を盗んで庫司の職をやめて天童山を出てゆく時こっそりこのお金を持ち出すつもりで天王殿の石の廊下に隠していた。

ところがいよいよお金を取り出してみると、急に心が咎めだして、丁度誰かに捉えられているように感じられてあっさり出て行く事が出来ずぐずぐずしていると、寺の知事(寺の役職にある僧)が

「お前は倉庫の役を辞めたというのにどうして出てゆかぬのか」

と問い詰めたので、良心に恥じたのか、自分からお金を盗んだ罪を自白した。そこで知事は密雲和尚にこの事実をありのままに申し上げると、和尚は

「信者が仏を信仰して寺に差し上げたものはたとえどんなに僅かなものでも私してはならない。しかし、個人のものを盗んだのではないからお寺に還したなら、そのままお寺を去って行け」

と、許されたのでその僧は言われたように盗んだお金をもとの倉に還し、礼拝して物を盗んだ罪をお詫びしてさっぱりした気持ちで出て行くことが出来た。