隠元禅師(1592年~1673年)は日本に禅を広めるため、日本からの請待に応えて日本に来られたが、ことあるごとに人に勧めて

「生き物を殺さないように、生き物を放してやるように」

と、放生思想をを説かれた。承応3年(1654年)長崎に上陸されしばらくそこに留まっておられたが、翌年徳川幕府の許可を得て大阪府下の摂津富田にある慈雲山普門寺に移られ、しばらくここに留まって住持されていた。ここの近くには八幡山があるので、毎月、日を決めて寺の僧に生き物を持って行かせ、放ってやるようにされていたが、1回も欠かされなかったという。

その他日常生き物の生命を大切にされたことはおして知ることが出来るであろう。禅師には『放生を勧める偈』というのがあるが、その中で

「優れて立派な人を大徳というが、大徳という言葉は好生ともいいかえられている。これはあらゆる万物の主人である人間は動植物に限らず無情の木石まであまねく恩を施して残すところがないからである。たとえ草木でも生きたいものである。まして鳥やけものではなおさら生きたいものだ。どうか、殺生をしないで生き物を放ってやって慈悲の行いを積み重ね、大きな取引をしている人が立派な品物を一つ一つ買いためて、遂には大商売をするように善徳を積んでいこうではないか。

誕生日とか先祖の命日とかに生き物を放してやったなら、たとえその生き物が虫けらであろうとも、また、わずか一匹であろうとも、その功徳は偉大なものである。この行いは仏教徒の理想とする菩薩の願いの中でも最も大きなことを成し遂げたことになり、『生き物の父』と呼ばれるに価することにもなる」

と、いっておられる。世間をみるとこの頃僧侶や在家の人たちが、昔よりは殺生をしなくなったのは皆、禅師が『戒殺放生』を盛んに説かれて導かれたからだといわれている。