費隠和尚の寿塔(お墓)は黄檗山(中国福建省)にあるが福厳寺で病にかかられ、亡くなられようとされた時、大衆を集め告げられるには

「私が死んでも死んだという報せを出さないでくれ。また、あちこちから弔辞や香奠を受け取らないで欲しい。朝早く死んだなら、昼過ぎには火葬し、遺骨を福厳寺に留め置かないにせよ。遺骨は先に住持したことのある黄檗山に移してもいけない。火葬した灰は風の吹くにまかしてくれれば私の死後の事はそれで終わったことになる。そうすれば塔を造って土地を占領したり、世の中の尊い資財を費やすことがなくてすむわけだ」と。

古来の大徳もその様にお考えである。和尚の残された言葉を繰り返し味わってみると一字一字が金銀や珠玉のように尊いのでこれを碑に書きとめておくだけでなく、我々もよく反省してみて、有徳な行いもないのに死んでからの墓を立派に造ってくれなどと心に思うようなことがあっては費隠和尚に愧かしくて生きてはおれないような気持ちになるだろう。