隠元禅師がある時、大衆に告げていわれるには、

「お前達参禅し、仏道を学ぶ者は、何はともあれ、仏陀の残された戒律を堅く守って。身と口と意(心)の三つを清浄に保ち、因果の道理をはっきりとさせて置かねばいけない。世間でいうように、いくら上手に説いても、それよりは僅かでも立派な行いをすることこそ大事なことである。私は立派な行いといっては何一つ一般の人に過ぎたことはしていないが、ただ平生、因果の二文字だけは忘れないようにして心にかけている。お前達もこれだけはよく心にとめて置くがよい」と。

隠元禅師が日本に渡来され、日本で黄檗山を開創された時は既に齢も70歳になられておられた。京都は冬が特に寒いので夜などは足が冷え眠りに着かれにくかったので、いつも寝られる前にお湯を沸かして足を暖められていたが、禅師の身の周りの世話をする侍者に

「この湯を沸かす費用は必ず本山の会計に払っておいてくれ。寺の薪や炭を私用に使ってそのままにして置くことは許さない」

と、堅く言い渡されていた。