清軍が南京を陥れたのは順治2年(1645年)5月で、明朝の倒れるのは最早や眼にみるように明らかであった。隠元禅師がシナの黄檗山に2度目の住持をされた順治3年には南シナの各地にまで清軍は進攻して来ており、翌4年2月には黄檗山から余り遠くない鎮東衛や海口鎮も兵火に見舞われ数千人の人たちが殺されたので、禅師はひそかに遺骸を集めさせられ6月から2ヶ月間東獄(泰山のこと)で水陸普度の大陸施餓鬼を行われ亡き人たちの霊を慰められた。